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厨二患者の音楽映像文学についての記録

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柳 広司 著「ジョーカーゲーム」 敗戦国日本の怪物

始めにお読みください

当ブログの注意点

  • 映画や小説の場合、ネタバレを含むことがあります
  • その作品を愛している方の気分を害することが書かれている場合があります
  • 厨二の解釈は人それぞれです、思ってたのと違う可能性があります

 

柳 広司 著「ジョーカーゲーム」 


発行:2008年

第30回(2009年) 吉川英治文学新人賞受賞
第62回(2009年) 日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門) 受賞


~内容紹介~
結城中佐の発案で陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校“D機関”。「死ぬな、殺すな、とらわれるな」。この戒律を若き精鋭達に叩き込み、軍隊組織の信条を真っ向から否定する“D機関”の存在は、当然、猛反発を招いた。だが、頭脳明晰、実行力でも群を抜く結城は、魔術師の如き手さばきで諜報戦の成果を上げてゆく…。吉川英治文学新人賞日本推理作家協会賞に輝く究極のスパイ・ミステリー。
 ※amazon紹介文より

 

ジョーカー・ゲーム (角川文庫)

ジョーカー・ゲーム (角川文庫)

 

 
戦時中の日本陸軍内で立ち上げられた「D機関」、魔王と呼ばれる結城中佐を軸に語られるスパイ、ミステリー小説。
戦争小説にありがちな悲惨さや悲しみを排除し、無機質で空虚なスパイ活動を描いている。戦争小説で描かれる逃れられない死への恐怖や悲しみを描かずあくまでもエンターテインメントとしてのミステリー小説として完成された作品だ。

各章独立したストーリーが描かれており、タイトルが気になった章から読んでも問題の無い作りとなっている。
いずれも怪物のようなスパイが主役であり、時おり異物として描かれる軍人や、陸軍将校がスパイスとしての役割を担っている。

戦争小説におけるリアリティとは?


日本は言わずもがな敗戦国である。
世界で唯一原子爆弾を落とされた国、沖縄での絶望的な本土戦、日本各地、主要都市を襲った爆弾。
欲しがりません勝つまではを押し付けられた国民は鬼畜米英のプロパガンダの元、勝利を信じさせられた。特攻の悲しみは癒されるものではなく、広島、長崎は地獄を味わった。

当時の世界では類を見ないほど自国を蹂躙された日本は、戦争をエンターテインメントにすることを避けねばならない。
それは日本の宿命として存在し続けるだろう。


村上龍は戦争を否定しなかった。それは一般的な日本人感覚としては受け入れがたい考えだろう。彼は日本人は戦争を望み、一種の狂乱状態にあったとした。(注:過去のエッセイの記憶なので表現は違っているかもしれない)
一種の狂乱の中に置かれた人の精神状態を推し量ることはできない。
我々は想像できる悲しみだけをクローズアップするしかないのだ。


戦争はあってはならない。
日本は大東亜戦争を肯定してはいけない。
だが、今の日本では多くの人が死んでいく映画も、戦争をエンターテインメントとして描く映画も氾濫している。映画の中では人の命は軽い。
そしてそういった映画は戦勝国のアメリカからやってくる。


戦争におけるリアリティを描く為には、それを肯定し利益を得た人間も描かれねばならない。戦争が続くことで自分の利益が最大化するものは存在した。
悲しみのドラマばかりを描くことは戦争を美化することであり、敗戦国たる日本が向き合うべき戦争のリアリティを削ぐことになる。
戦争で利益を得る人間を悪者的に描くのではなく、当時の日本人の当たり前と描くことこそが重要なのだと思う。


日本は徹底的な批判精神を持ち、戦争の全てを描くべきだ。
戦争を知る人たちは年々減っていく。リアリティは失われる。
エンターテインメントとしての戦争を描く為には徹底的な批判精神が必要となる。

ジョーカーゲームにおける戦争のリアリティ


ジョーカーゲームにおける戦争はどのように描かれるのか。
結城中佐の目から見た陸軍にその一端がある。
潔く死ぬことが美徳であり、日本軍はそうでなければならないという意味の無い思想を抱えた将校や軍人たち。
結城中佐はそれに対して「死ぬな、殺すな」をD機関の思想の中心に据える。

無駄な死は回りまわって日本軍へのダメージとなる、人は簡単に死ぬべきではない。
戦争において一番重要なものは人である。
特に現代戦と違い、直接人と人とが交錯する当時の戦場では死は避けられず、重要であるはずの資源、人は消費財として消耗されていく。

少なくとも今作では描かれていないが、結城は経済観念の優れた指揮官だ。
限りのある人という資源を有効活用するためにスパイ機関を設立し、彼ら自身に死ぬことは無駄だと伝える。
スパイである彼らの活動により、日本軍がこれ以上無駄に人という資源を消費しないことを第一の目的としたのではないだろうか。

利益を最大化するためには障害となるリスク、失敗した場合に考えられる損害をシミュレーションをする必要がある。
D機関はそういったマイナス面を引き受けるべき組織として重要な存在だ。
だが、当時の日本では敗戦をシミュレーションすることはご法度であった。


ジョーカーゲームにおける戦争のリアリティ、それは有無を言わさず人を死に向かわせる組織が実際に存在したことをD機関を通して描いたことにある。
D機関はいわば現在の我々だ。
戦争、争いを経済活動に変えると分かりやすいが、仕事においてはマイナス面をシミュレーションすることは当然だ。

異物としてD機関を描くことで、むしろ陸軍将校の異常さが際立つ。
日本の敗戦は必然であるが、それは外的要因ではなくむしろ経済的、政治的にあまりに無策であったということに気付かされるのだ。

 

スパイという非リアリティ


ところで、スパイはリアリティの無い存在だ。
スパイはそれと気付かれた瞬間に存在価値を無くす。

今の我々は戦争も、スパイもリアリティの無いものとして受け取る。
だからこそ、この小説はエンターテインメントとしてしっかりと成り立つのだ。
そして、物語で描かれる軍隊をステレオタイプにすることで根幹にリアリティを持たせている。


戦争という非日常の中で存在感を消し、日常を生きるスパイという存在。
死ぬな、殺すなという日本軍隊の大前提さえ簡単に覆す魔王の徹底した哲学。


この小説を語るとき、矛盾した表現をすることが多くなる。
それは、ジョーカーゲームが矛盾を描いた小説だからであると思う。
戦争は死ぬことを前提としているが、スパイは死んではならない。
スパイは日常に溶け込む違和感の無い存在であるが、同時にエンターテインメント性も含んでいる。


優秀なスパイがいたとしても敗戦は逃れられないというエンターテインメントに反する物語、これがジョーカーゲームの面白さだと思う。
ハリウッド的エンターテインメント作品なら、スパイが戦局を変えてしまうだろうが今作のスパイはそういった行動を排除した存在なのがより一層面白い。