厨二患者の音楽映像文学についての記録

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1978年版「ゾンビ」~ Dawn of the Dead~ 乾いた風に吹かれてゾンビがやってくる

始めにお読みください

当ブログの注意点

  • 映画や小説の場合、ネタバレを含むことがあります
  • その作品を愛している方の気分を害することが書かれている場合があります
  • 厨二の解釈は人それぞれです、思ってたのと違う可能性があります

 

今回はホラー映画、ゾンビ物を取り上げています。
スプラッタ表現、ホラー描写が苦手な方は読まないでください。
リンク先で怖い思いをしても責任は取れません。

今回は映画の大事な部分のネタバレがあります。
未見の方は読まないでください。絶対に見ないし、という方はご覧ください。

 

ジョージ・A・ロメロ監督作品「ZOMBIE」


ジョージ・A・ロメロ(以下ロメロと略)はカルト的なファンを持つ映画監督である。
1968年に公開された「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は現在までに通じるゾンビのテンプレートを作り出したと言われる名作。

今回は後にロメロ3部作と言われるリビングデッドシリーズ(現在では5作)の第二作である「ゾンビ」(原題はドーン・オブ・ザ・デッド)について語りたいと思う。 

 

 

1978年に公開されたこの映画は、後のゾンビ映画に多大な影響を与え、今に至るまでロメロをカリスマとするきっかけにもなった。

ナイト~まで、映画におけるゾンビはブードゥーの影響が濃い、呪術的な存在として扱われていた。
魔術師の使役するモンスターとしての役回りである。
元祖として語られるのが、怪優「ベラ・ルゴシ」のホワイトゾンビであろう。

 

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自分自身、ナイト~以前のゾンビ映画はほぼ未見なので偉そうには語れないが、ロメロ3部作が無ければゾンビのテンプレは生まれていない可能性があると思っている。
そうなると、ウォーキングデッドだってバイオハザードだって、デッドライジングだって生まれていないだろう。
エンターテインメントとしてのゾンビという存在は、ロメロという才能によって生み出されたと言っても過言では無い。

 

ホラー映画界のカルト的な才能が集まった名作


今作にはロメロを中心に、ホラー映画界では有名な人物が参加している。
映画監督としても有名なダリオアルジェントが音響効果、特殊メイクはトムサヴィーニ(俳優としても出演)、音楽はゴブリンなどのそうそうたるメンツだ。

映画全体に横たわる暗く乾いた雰囲気、生ける屍となった人間たちの悲しくも恐ろしい姿、恐怖を演出する音の数々、不穏な空気感を表現する音楽、その全てが絶妙なバランスで成り立っている。

それぞれの才能が機能し影響しあった結果としての名作と言える。

 

理由のない恐怖が世界を覆うとき


リビングデッドであるゾンビはロメロ3部作でも出現の原因は語られていない。
今作の冒頭、テレビの画面が写っているが、隕石の影響かと論じられるくらいではっきりとした理由は解明されないままだ。

ここにこそゾンビの恐怖があるのだと思う。

ある日突然、死者が蘇る。人々はなぜだろうと考えるが理由は分からない。
隣人が、愛する人が、友人が、次々にゾンビになっていく。
死の訪れは恐怖からの開放ではない、生ける者にとっての新たな恐怖の始まりに過ぎないのだ。

死した者をあらためて殺さねばならない、それは生きたいと願う者たちの希望すら奪いかねない行為だ。
自分がもし死んだら愛する人を襲うかもしれない、そして自分が殺したゾンビと同じ怪物として殺されなければならない。
耐え難い恐怖がそこにある。


ゾンビはやがて世界を覆い尽くす。
ナイト~で生まれた死者はゾンビで世界を闊歩し始め、昼間の支配者になる。
ロメロ3部作とはそれを描いた作品である。

原題をそのまま記述すると分かりやすい。

Night of the Living Dead  生ける死者たちの夜
Dawn of the Dead  生ける死者たちの夜明け
Day of the Dead  生ける死者たちの日

ゾンビの発生、拡大、支配までが描かれている。

ゾンビたちは生ける者たちを駆逐し、新たな世界の支配者として君臨する。
目的も、理由もない、ただ生ける我々を襲うのだ。

そもそもゾンビには食べる必要が無い。
なぜ食べるのか、映画で語られるのはゾンビになることで食欲のみが残るからとされている。なぜそうなるかの理由はもちろん分からない。

ゾンビが恐怖なのは、なぜ生まれ、なぜ人を襲い食べるのか、何が目的なのか、全てが謎であるからだ。
宇宙人は人間を滅ぼし地球を自分のものにしたい、モンスターは生きるために人を襲い食べる、全てに理由はある。
だが、ゾンビに理由は無い。

そして、理由のない恐怖が世界を覆うのを画面を通して我々は見せつけられる。

ロメロが描く恐怖の本質


ゾンビは人を襲う。
人はそこから逃げることしかできない。

ロメロ3部作、というよりもロメロゾンビで描かれるのはそれだけではない。
人のリアルこそがロメロ映画の恐怖の本質なのだ。

今作の見せ場、ショッピングモールでの平穏な生活がゾンビによって破られるシーンがまさにリアルな人間を描いている。

ゾンビによって平穏を奪われたとあるグループが今作の主役だ。
彼らは逃亡の途中、ショッピングモールに立ち寄りそこを拠点とすることにした。
一時ながら平穏を取り戻したかに思えた彼らの生活は、同じ人間によって破られる。

モールを自分たちの物にすべく襲撃するならず者たちにより、バリケードは破られゾンビは侵入を始める。
戦いながら彼らは平穏が破られ、戻らないことを知る。
そして残り少ない燃料のヘリコプターで目的地のない逃亡を始めるのだ。

主人公たちは、いずれ自分たちが死ぬかもしれないことを知りながらも文明の香りが残るモールに逃げ込んだ。
そこで彼らはファッションを楽しみ、食事を楽しみ、レジャーを楽しむ。
どこに逃げてもゾンビがいる日常を忘れる為に。

しかし、それを我がものにしたいならず者たち、つまり同じ人間にそれは破られる。

人間は自分たちが作り上げた文明にすがることで現実逃避する。
自分たち以外の人間が幸せであることを許さない人間により希望は打ち砕かれる。

これが世界だ。
リアルな人間模様がそこに描かれている。

世界はいつでも危ういバランスの上に成り立っている。

富める国を許さない国、指導者がいる。
成功した人を妬む人たちがいる。

人は人を許さず、妬み、足を引っ張りたいのだ。
自分の境遇が不幸せであればあるほどに。


ロメロが描くのは人間だ。
ゾンビも含む人類そのもののカルマと言ってもいい。

ゾンビは死しても人を食う、人は外敵にさらされても同じ種族で争う。
動かしようのない人間の本質こそが恐怖の源なのである。

 

ゾンビに流れる不穏で乾いた空気感


最後に今作の音楽についても語りたい。
ゴブリンというイタリアのプログレッシブバンドがヨーロッパ公開版の音楽を担当しているのだが、彼らの表現する世界観が素晴らしい。

  

ゾンビ(サントラ)

ゾンビ(サントラ)

 

  
不穏な空気感を素晴らしく高めてくれるサウンドが心地よい。
プログレというジャンルも相まって好き嫌いは別れるだろうが少なくともゾンビという映画にはしっかりとマッチしている。

なかなかにテクニカルでお洒落なバンドだと思うので合わせてオススメしておく。