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厨二患者の音楽映像文学についての記録

私が好きな音楽・映画・文学の記録

村上龍 著「コインロッカーベイビーズ」の規格外の疾走感

始めにお読みください

当ブログの注意点

  • 映画や小説の場合、ネタバレを含むことがあります
  • その作品を愛している方の気分を害することが書かれている場合があります
  • 厨二の解釈は人それぞれです、思ってたのと違う可能性があります

 

村上龍 著・コインロッカーベイビーズ


単行本 1980年10月28日発行
文庫本 1984年1月15日発行

~紹介文~

コインロッカーを胎内としてこの世に生まれ出たキクとハシ。罪の子ふたりの心に渦まく愛と憎悪。廃墟と化した東京の上空に、華やかなステージに、そして南海の暗い海底に強烈な破壊のエネルギーがほとばしる。巨大な鰐を飼う美少女アネモネの願いは?鮮烈なイメージで織りなす近未来小説の大きな序章。
 ※Amazon紹介文より


 

コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)

 
コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)

 

 

 第3回野間文芸新人賞受賞作品。

 

文学という括りでは語れない村上龍の魅力


村上龍という作家をご存知だろうか?
最近ではテレビ東京カンブリア宮殿のMCとして認識している人も多いと思う。

1976年、デビュー作の「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞芥川賞受賞という鮮烈な登場を果たした作家である。
サイケデリックとも言える世界観を構築、文章というよりも詩に近い強烈な個性を放つ異彩な作家であった。


一読でもしたことのある人なら同意してくれると思うが、村上龍の文体は独特という言葉では言い表せないモノを含んでいる。
句読点無しに数行を一気に書き進めるテンションの高さ、登場人物の語り口の異常さ、サイバーパンクにも通じるような独特の物語世界。

文字の羅列にしか見えず、読み進めるのを躊躇するようなページを目の当たりにし、それを実際に読み進めていくごとに自分が引き込まれていくのが分かる。
文学のルールを無視しているとしか思えないその文体は、好き嫌いのはっきりする作家という印象を決定づけるものだと思える。

おそらく、村上龍には文学というものが違って見えているのだろう。
自身から生まれでるものを書き綴り、そこに美しい文章という既存のルールは当てはまっていない。
一種プログラムの配列のような普通の人には読みにくいだけ、でもそれが好きな人には堪えがたい美しさを感じる文章だと思うのだ。


それは素晴らしい音楽を体験した時のような、既存のルールに縛られない美しさを感じた瞬間のような、そんな体験をさせてくれる作家だ。

 

グルーヴと疾走感・コインロッカーベイビーズ

 
この作品は、そんな村上龍の文学性が存分に発揮された名作だ。
ルール通りの名作では無い、新しいルールを作り上げた作品だと言えると思う。

日本を舞台にしながらも現実とはズレのある世界、コインロッカーに遺棄された二人の子供を軸に描かれる物語は音楽を感じさせながら展開していくのだが、クライマックスで感じるものは無の世界だ。

この物語はキクとハシというコインロッカーに遺棄された子供、二ヴァとアネモネというその2人を取り巻く女性が中心に描かれる。

二人の子供は善良な里親に引き取られ、平等に育てられる。
そんな生活の中、キクとハシは、成長するにつれてある音の存在に気付く。
成長の中で二人は異なる世界へと脚を踏み入れ、それぞれの価値観に従い行動をしていく。その中でキクは暴力衝動を昇華させる手段としてダチュラを選び、ハシはその音を求め音楽を選ぶ。
二人ともある音を求めながら違う行動を取り続け、音に気づいたキクが辿り着いたカタルシスの中、ハシもその音に辿り着く。
そして新しい音楽が始まる。

キクは世界をリセットし、ハシは新しい音楽を始める。
破壊と救済が唐突に訪れ、読者である我々はそのどこにも存在しない。
無の世界だ。
とても美しい。



この物語は全体を通して暗く重いグルーヴに支配されている。
不穏な空気、暴力、閉塞感に支配されたヘヴィなグルーヴだ。
それが、キクがカタルシスに向かうに連れ形容しがたい疾走感、ある種の爽やかな空気に包まれていく。


既存の価値観も、音楽も、ファッションも無意味。
全てが壊れてしまうことを知った後の諦めにも似た奇妙な気持ち。
それを爽やかと表現しても良いのなら。


コインロッカーベイビーズは、重苦しい、閉塞感に満ちた世界をぶち壊し救済するためのカタルシスを描いた作品なのだ。
全てが壊れたのなら、新しい何かが生まれる。物語は唐突に終わり生まれでる何かは語られることはない。それは新しい物語だからだ。

 

物語で音楽を鳴らす村上龍という作家の特異性


繰り返しになるが、村上龍という作家は文学の枠では語りきれない。
音楽とセットで語られる作家はいても音楽を鳴らす作家はいない。
キクとハシは村上龍であり、閉塞感を感じ何かを壊したいと感じている我々だ。

重く暗い日常の閉塞感というグルーヴも決して悪くはない。
だが、我々は疾走感も等しく求めているはずだ。

この物語の軸となる音の正体はここでは語らない。
無となった世界でも鳴らされるその音、原始的なリズムは我々が感じられる唯一共通の疾走感かもしれない。

どうか、その音を感じて欲しい。
我々は飼い慣らされる為に生きているのではない、平坦な人生を歩みながらも体内に存在する疾走感と共に生きているのだ。


世界の終わりが訪れたとして、そこに音楽はある。
我々もコインロッカーベイビーズだからだ。




 
世界の終わりには疾走感がある。
この曲のような。 

世界の終わり

世界の終わり

 

  

 

cult grass stars

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